「マザー・テレサにあげるんだ」

「マザー・テレサにあげるんだ」

大きな愛をもって愛するということは、 どういうことでしょうか。

いきなりこんな風に書き出すと、 難し過ぎると思われる方もいるかもしれませんね。

しかしマザー・テレサは、それをカルカッタに住む四歳の子どもから教えてもらったと言います。

まだ、マザー・テレサの活動が今ほど人々に知られていなかった頃の話ですが、 一時期、マザー・テレサのところに砂糖がまったく入らなくなったことがありました。

そのため、毎日お世話をしている何千人もの孤児、病人、貧しい人たちにも砂糖を分け与えることができませんでした。

その四歳の子どもは、学校で先生から話を聞くと両親に言いました。

「ぼくは、今日から三日間砂糖を食べないよ。  

ぼくの分をマザー・テレサにあげるんだ」

子どもの両親はそれまでマザーのところへ行ったことはなかったのですが、 子どもにせがまれ、三日後に子どもを連れて訪ねて行きます。

その子は、マザー・テレサの名前を正しく発音できないくらい幼く小さい子どもでした。

しかし、手にしっかりと砂糖の入った小さなビンを握りしめていたのです。

そして、おずおずとそのビンをマザー・テレサに差し出しました。

それは、男の子がマザー・テレサや貧しい人たちを助けるために、 三日間自分を犠牲にしてためたものだったのです。

マザー・テレサは、この話を世界中至るところでしました。

もちろん、日本でもしました。 彼女は次のように語ったものです。

「その小さな子どもがくれたものは、それを私たちが貧しい人々に分け与える時に、計り知れないくらい大きなものとなって、彼らの手に渡ることでしょう。

私は、その子どもから本当に大切なことを学びました。  

この幼い子どもは大きな愛で愛したのです。  

なぜなら、自分が傷つくまで愛したからです。  

この子どもは私にどのように愛するかも教えてくれました。  

大切なことは、いくら与えたかではなく、与えることにどれだけの愛を注いだか、であると」

さらに言いました。

「あなたもそれを実行してください。  

年老いた両親のために一輪の花を持っていったり、ふとんを整えてあげたり、仕事から戻ってきた夫を微笑んで迎えてあげるだけでいいのです。  

学校から帰ってきた子を迎えてやり、声をかけてあげてください。  

今、こういったふれあいが失われてきています。  

忙しすぎてほほえむ暇も、愛を与えたり、受けとめたりする暇もない、そういう生活になっていませんか」

出典元:(中井俊已著『マザー・テレサ 愛の花束』PHP研究所)