適材適所

人にはそれぞれ天分の特性があります。
その特性の善し悪しを言いがちですが、決してしてはならないことです。

ドラッカーは「マネジメント」で、
「何が正しいかよりも、誰が正しいかに関心を持つ者をマネジャーに任命してはならない。仕事よりも人を重視することは、一種の墜落であり、やがては組織全体を堕落であり、やがては組織全体を堕落させる。」
と言い、

森信三先生は、
「結局、多少能力が劣っていても、真剣な人間のほうが、最後の勝利者となるようです。」
とおっしゃられました。

人に上に立つ者の心がまえとして、内村鑑三「代表的日本人」で二宮尊徳先生をこのように紹介しました。

『労働者のなかに、年老いて一人前の仕事はほとんどできない別の男がいました。
この男は、終始切り株を取り除く仕事をしていました。
その作業は骨の折れる仕事であるうえ、見栄えもしませんでした。
男はみずから選んだ役に甘んじて、他人の休んでいる聞も働いていました。
「根っこ掘り」といわれ、たいして注目もひきませんでした。

ところが、わが指導者(二宮尊德)の目はその男のうえにとまっていました。
ある賃金支払い日のこと、いつものように、労働者一人一人、その成績と働き分に応じて報酬が与えられました。
そのなかで、もっとも高い栄誉と報酬をえる者として呼びあげられた人こそ、ほかでもなく、その「根っこ掘り」の男であったのです。
一同びっくりしました。
なかでだれよりも驚いたのはその男自身でありました。
男は通常の手当に加えて15両(約75ドル)授かることになりました。
労働者の一日の稼ぎが、やっと2セントであった時代だから、破格の金銭でした。

「御主人様、私は御覧のような年寄りですから、一人前の賃金をもらう値うちはございません。
仕事も他の人たちよりずっと少ない量です。
なにか勘違いをなさっているにちがいございません。
うす気味悪くて、このお金を頂くわけにはまいりません」と男は言い張りました。

「いや、そうではない」
とわが指導者は重々しい口ぶりで告げました。
「おまえは、他のだれもがしたがらない仕事をしたのである。
人目を気にせず、まことに村人のためになることだけを考えてしたのだ。
おまえが切り株を取り除いたお陰で、邪魔物は片づけられ、我々の仕事は、たいへんしやすくなった。
おまえのような人間に報賞を与えなかったら、わが前途にある仕事を、とうてい遂行することはできないだろう。

おまえの誠実に報いる天からの御褒美である。
感謝して受けとり、老後の安楽な生活の足しにするため役立てるがよい。
おまえのような誠実な人間を知って、私はとても嬉しい」
男は子供のように泣き、「涙で袖をぬらし」ました。
村中の人が感激しました。
隠れた徳行を明るみにもたらす神のような人が出現したのです。』

こうありたいものです。

(川崎剛史)