知覧特攻平和会館に残されたある手紙


知覧特攻平和会館には、数多くの遺書や手紙が残されています。
特攻隊の教官だった年配者の一人は、教え子が続々と出撃していく中で「必ずオレも後に続く!」と約束を繰り返していました。
しかし、重要な職務を持ち妻と子二人の家族を持つ隊長には出撃命令は出されませんでした。
何度嘆願書を出してもだめです。
逆に妻は夫に死なないで欲しいと何度も説得を繰り返しました。
しかし、夫の決意があまりにも固いことを悟った妻は、「私たちがいたのでは後顧の憂いになり、思う存分の活躍ができないでしょうから、一足お先に逝って待っています」と遺書を残し、3才と1才の女の子を連れて入水自殺してしまいました。
引き上げられた妻子の遺体のそばで号泣した教官は再度血書嘆願を出しやっと出撃を認められたのです。
教官の遺書には「母とともに消え去った幼い命がいとおしい まもなく会いにいくからね。
お父さんの膝でだっこして寝んねしようね それまで泣かずにまっていてください」と書かれていました。
<特攻隊員の妹さんへの遺書>
「なつかしい静(しい)ちゃん! お別れの時が来ました。
兄ちゃんは、いよいよ出撃をします。
この手紙が届くころには、沖縄の海に散っています。
思いがけない父、母の死で、幼い静ちゃんを一人のこしていくのは、とても悲しいですが許して下さい。
兄ちゃんの形見として静ちゃんの名で預けてある郵便通帳とハンコ、これは静ちゃんが 女学校に上がる時に使って下さい。
時計と軍刀も送ります。
これも木下のおじさんに頼んで、売ってお金に換えなさい。
兄ちゃんの形見などより、これからの静ちゃんの人生の方が大事なのです。
もうプロペラが回ってます。
さあ、出撃です。
では兄ちゃんは征きます。
泣くなよ静ちゃん。がんばれ!」
<遺書を託された兵からの手紙>
大石静恵ちやん、突然、見知らぬ者からの手紙でおどろかれたことと思ひます
わたしは大石伍長どのの飛行機がかりの兵隊です。
伍長どのは今日、みごとに出げき(撃)されました。
そのとき、このお手紙を わたしにあづけて行かれましたおとどけいたします。
伍長どのは、静恵ちやんのつくつたにんぎやう(特攻人形)を大へん だいじにしてをられました。
いつも、その小さなにんぎやうを飛行服の背中につつてをられました。
ほかの飛行兵の人は、みんなこし(腰)や 落下さん(傘)のバクタイ(縛帯)の胸にぶらさげてゐるのですが、伍長どのは、突入する時にんぎやうが怖がると可哀さうと言つておんぶでもするやうに背中につつてをられました。
飛行機にのるため走つて行かれる時など、そのにんぎやうがゆらゆらとすがりつくやうにゆれて、うしろからでも一目で、あれが伍長どのとすぐにわかりました。
伍長どのは、いつも静恵ちやんといつしよに居るつもりだつたのでせう同行二人・・・・仏さまのことばで、さう言ひます。
苦しいときも、さびしいときも、ひとりぽつちではない。
いつも仏さまがそばにゐてはげましてくださる。
伍長どのの仏さまは、きつと静恵ちやんだつたのでせうけれど、今日からは伍長どのが静恵ちやんの”仏さま”になつて、いつも見てゐてくださることゝ思ひます。
伍長どのは勇かんに敵の空母に体当たりされました。
静恵ちやんも、りつぱな兄さんに負けないやう、元気を出してべんきやうしてください。
さやうなら