渡辺和子の名言

【渡辺和子の名言】

何ができてもできなくてもいい!
どんな人でも生きているだけで
価値がある!置かれた場所で咲きなさい

(1)

ほほえみには、
私たちの心の中にある

目には見えない愛を、
目に見える形にして
相手に伝える

コミュニケーションの
役割があるといえます

(2)

愛するということは
生半可なことではなく、

愛し続けるという
ことなのです

(3)

人に、
生きがいを与えるほど、
大きな愛はなく、

人から、
生きがいを奪うほど、
残酷なことはない

(4)

今や、変えられるものを
変える自由が
与えられている。

必要なのは勇気である

(5)

大切なのは
宝石に見せかける
ことではなくて、

宝石になる努力を
惜しまないことだ

(6)

私たちの毎日毎日は、
後戻りすることが
できない、

やり直しのきかない
人生だという感覚で生きる
ことが大事なのです

(7)

「しかたなしに」
愛することほど、
愛に対する侮辱は
ありません

(8)

愛はそれが
純粋であればあるほど、
苦しみを伴う

(9)

心の美しさは、
自分の心との
戦いによってのみ
得られる

(10)

「今」をたいせつにして
生きないと、花は開かない。

「今」をいい加減に
生きると、次の瞬間も
いい加減なものとなり、

いい加減な一生しか
送れないことになって
しまうのかも知れない

(11)

人間の一生の間に、
大きな幸せと呼べるものは
数える程しかないものです

(12)

信じるということは
大切なこと、
美しいことですけれども、

悲しいことに人間の世界に
“完全な”信頼は
あり得ません。

信じることを
教えるのも教育なら、
人を疑うことの必要性、

単純に物事を
信じてしまっては
いけないことを教えるのも
教育の1つの役割なのです。

それは、神でない人間は、
他人も自分も皆、弱さを持ち

間違うことがあるのだという
事実に目を開かせ、

許しの大切さを教えること
でもあります

(13)

時間の使い方は
そのまま「いのち」の
使い方なのですよ。

一生懸命はよいことだが
休息も必要。

(14)

何ができても
できなくてもいい。

どんな人でも
生きているだけで
価値がある。

(15)

今、子どもたちの主体性を
重んじる教育ということが
よくいわれていますが、

現実には、「したい性」が
伸び放題になっては
いないでしょうか。

子どもたちが
真に自由になるためには、

したいことを我慢し、
または自分に
「待った」をかけて、

しなければならないことを
先にする“もう一人の自分”
を育ててゆくことが
大切なのです

(16)

許さない間は
相手の支配下にある。

自由になるために
思いを断ち切る
ことが大切。

(17)

愛される一番の近道は
自らが愛情深い人に
なること。

しあわせは
求めるのではなく
自らの力で作りだすもの。

(18)

ほほえむことを
忘れた人たちに、
ほほえみを惜しまずに
与えましょう。

「あなたは1人ぼっちでない」
というメッセージを
発信し続けましょう。

ほえみには、
マジックのような
力があります。

与えられた人を
豊かにしながら、
与える人は何も失わない

それがほほえみなのです

(19)

自分を愛せない人は
人を愛せない。

ありのままの自分を
受け入れられた時

心の中に優しさと強さを
持つことができる。

(20)

世界の人口を
100人の割合で考えると、

高等教育を受けたくても
受けられる人は
わずかに1人。

だから、置かれた場所で
咲くという気持ちを忘れず、

自分が今できることを
一生懸命励みましょう

(21)

人は話す前は
自分の言葉の主人だが、

口から出してしまった
言葉の奴隷でしかない。

そのためにもよく考えて
話すことがたいせつだ。

(22)

このかけがえのない一日を
不平や不満で
うめるのではなく、

ありがたいものとして
生きる時、ささやかな
幸せが生まれてくる。

そのためには、
自分の身の周りに既にある
”有りがたいもの”に
気づいていきたい。

日の出にも日の入りにも、
月にも星空にも、

小鳥にも一本の草花にも
感謝して生きていきたい。

(23)

世の中、「かくかく、
しかじかあるべきだ」という
思い込みをたくさん
持てば持つだけ、
不自由になる。

例えば「家族は私に
優しくあるべきだ」

「上司は私の立場を
理解しているはずだ」

「わたしはここで
当然感謝されるべきだ」等々。

思い込みが多いと、
事実がそれにそぐわないとき、
苦しみも多くなる。

(24)

どうしても咲けない
時もあります。

雨風が強い時、
日照り続きで咲けない日、

そんな時には無理に
咲かなくてもいい。

その代わりに、
根を下へ下へと降ろして、
根を張るのです。

次に咲く花がより大きく、
美しいものとなるために…

「 渡辺和子さん 」

■ 偉大なシスター!

今回は、渡辺和子さんの名言を集めさせていただきました。渡辺和子さんは、膵臓がんによって2016年12月30日に89年の生涯を閉じました。翌年の年2月12日に葬儀が行われ、学園葬でありながら3500人もの方が参列し、渡辺和子さんが生前親交を深めていた曹洞宗尼僧の靑山俊董老師が弔辞を述べました。

渡辺和子さんは、1927年2月11日に陸軍教育総監だった渡辺錠太郎の次女(4人きょうだいの末っ子)として北海道旭川市に生まれます。そして、1936年2月26日、当時9歳だった渡辺和子さんは、陸軍の青年将校らによるクーデター未遂事件「2・26事件」で、父が殺害される場面を目撃します。

その後18歳のときに洗礼を受け、学校法人ノートルダム清心学園の学長に抜擢されたのが36歳です。30代で学長に就任するのは今でこそ珍しくありませんが、当時としては大変異例のことだったので、多方面で大きな話題となりました。

■ 問題は自分の心にある!

個人的には『置かれた場所で咲きなさい』という大変すばらしい名著を読んで渡辺和子さんの存在を知ったのですが、当時色々なことで悩んでいたので、この本には本当に助けられました。問題は外にあるのではなく、自分の心にあるということを認識できるようになりました。

その結果、それまで抱えていた問題も徐々に小さくなり心の負担も小さくなりました。そうすると不思議なもので職場での人間関係の問題も問題ではなくなるんですよね。いかに自分自身で問題を問題として作りあえげいたかに思い知らされた次第です。

以来、個人的に問題が起こった時は、自分に問題がいないか、それまでの行動や言動を検証するようにしています。思い上がらないためにも大切だと思っています。

■ ありがたいそんざいに気づく!

今回ご紹介させていただいた名言の中で、特に心に響いたのが以下の名言です。

(22)

このかけがえのない一日を
不平や不満で
うめるのではなく、

ありがたいものとして
生きる時、ささやかな
幸せが生まれてくる。

そのためには、
自分の身の周りに既にある
”有りがたいもの”に
気づいていきたい。

日の出にも日の入りにも、
月にも星空にも、

小鳥にも一本の草花にも
感謝して生きていきたい。

このかけがえのない一日を
不平や不満で
うめるのではなく、

ありがたいものとして
生きる時、ささやかな
幸せが生まれてくる。

そのためには、
自分の身の周りに既にある
”有りがたいもの”に
気づいていきたい。

日の出にも日の入りにも、
月にも星空にも、

小鳥にも一本の草花にも
感謝して生きていきたい。

不平不満をいわずに、ありがたいものとして生きることで小さな幸せに気づけるようになり、さらにありがたいと思わずにはいられない出来事が引き寄せられる幸せのループが作られます。つまり、感謝=幸せであって、つねに感謝が先で、幸せが先にくることはありません。

「どんなに幸せになることを願っても、不満しか生まれないのは、こういうことだったのか」と、思わず唸ってしまいました。このように自分は生まれながらにして、つねにありがたい存在であると気づくことができれば、人と自分を比べて落ち込むこともなくなります。