日野原重明の名言

【 日野原重明の名言 】
 
つらいことでも、苦しいことでも、
「体験」したことは、
間違いなくその人の強みになります
 
 
 
(1)
 
生きがいとは、
自分を徹底的に大事にする
ことから始まる
 
 
(2)
 
命はなぜ目に見えないか。
 
それは命とは
君たちが持っている
時間だからなんだよ。
 
死んでしまったら
自分で使える時間も
なくなってしまう。
 
どうか一度しかない
自分の時間、
 
命をどのように使うか
しっかり考えながら
生きていってほしい。
 
さらに言えば、
その命を今度は自分以外の
何かのために使うことを
学んでほしい
 
 
(3)
 
生かされている
最後の瞬間まで、
人は誰でも
『人生の現役』
なのですから
 
 
(4)
 
私たちは運命を
生きるのではなく、
運命を作っていくのです
 
 
(5)
 
幸福というものは、
失われかけてはじめて
気が付くものなのです
 
 
(6)
 
少し肩の力を抜いて、
「お上手、お上手」と
自分に声をかけていきましょう
 
 
(7)
 
人間は生き方を
変えることができる。
 
繰り返す毎日の行動を
変えることにより、
 
新しい習慣形成により、
新しい習慣の選択を
人間は決意できる。
 
人間には選択の
自由がある。
 
そして、
意志と努力により、
 
新しい自己を
形成することができる
 
 
(8)
 
どんな困難に直面しても、
「ここから始まるのだ」と
 
とらえ直すことができれば、
私たちはかならず
前進できます
 
 
(9)
 
誰しも幸福を望みますが、
それを実感することにおいては
きわめて鈍感です
 
 
(10)
 
ものすごく忙しい。
 
健康のために
睡眠をたっぷりとり、
 
三食きちんと食べて、
適度に運動する
なんていうことは
私には到底できない。
 
絵に描いた餅です。
 
本業の医療、
病院経営の仕事のほかに、
 
物書きをしたり、
1日18時間ぐらい
働いています。
 
それでも私は毎日が
爽快なんです。
 
老いて弱った体と、
不規則で過密なスケジュールに
うまく適応して精一杯生きる。
 
それが私の生き方上手です
 
 
(11)
 
ビジネスのために
人間があるのではなく、
 
人間が人間らしく
生きるためにビジネスがある
 
 
(12)
 
人間とはそもそも
「病む」生き物であり、
 
必ず欠陥を抱えて
生きています。
 
そのことを踏まえたうえで、
今日という日を健やかに
生きればいいのです
 
 
(13)
 
鳥は飛び方を
変えることは出来ない。
 
動物は這い方、走り方を
変えることは出来ない。
 
しかし、人間は生き方を
変えることが出来る。
 
 
(14)
 
自分のためにでなく、
人のために
生きようとするとき、
その人は、
もはや孤独ではない。
 
 
(15)
 
二十世紀の日本人は、
自分の中にないものを
先進諸国から
とりいれようとして
忙しく働きすぎた。
 
そして、古来の日本人の
内にあったよきもの、
奉仕する心、人情、
よき伝統を忘れてしまった。
 
 
(16)
 
人間にとって
最も大切なのは、
命の長さだと
思っている人は多い。
 
しかし、
私が出会った人を
振り返ってみて、
その人の命が
素晴らしい命だと
思える人においては、
 
ごく少数の
例外はあるにせよ、
命の長さはあまり
問題ではない。
 
 
(17)
 
私たちに与えられた
恵みを数えてみれば、
 
どんな逆境に
あったとしても、
 
受けているものの方が、
与えるものよりも
多いことに気付く。

受けた恵みを、
どこかで返そうと
考えたいものである。
 
 
(18)
 
心の良い習慣というのは
表情やしぐさにあらわれる。
人の顔つきも習慣なのです。
 
 
(19)
 
どんな困難に直面しても、
「ここから始まるのだ」と
とらえ直すことができれば、
 
私たちはかならず
前進できます。
 
 
(20)
 
なんと言っても、
人が人に与える
最高のものは、
心である。
 
他者のための「思い」と
「行動」に費やした時間、
 
人とともに
どれだけの時間を
分けあったかによって、
 
真の人間としての
証がなされる。
 
 
(21)
 
地位や名誉は
死ねばなくなる。
 
財産も残したところで
争いの種をまくだけですが、
 
『ありがとう』のひと言は、
残される者の心をも救う、
何よりの遺産です
 
 
(22)
 
人を許せるか否か。
 
それは人間に与えられた
「試練」です
 
 
(23)
 
最期に自分の生涯を顧みて、
自らが生まれて
こうなったことは
 
意味があると
考えられるように、
今日を生きることである
 
 
(24)
 
人生には無駄という
ものはないもの。
 
しかし、後にならないと、
その意味がわからない
ということがたくさん
あるのです。
 
つらいことでも
苦しいことでも、
「体験」したことは、
 
間違いなくその人の
強みになります
 
 
- 日野原重明 -
 
 
 
 
■ 105歳まで現役の医師として働く
 
 
今回は、2017年7月18日に呼吸不全により亡くなられた日野原重明先生の名言をあつめさせていただきました。日野原先生は、105歳(1911年10月4日生まれ)まで現役の医師として医療の現場に立ち続けました。
 
 
しかも、その多忙な合間を縫って執筆活動や講演まで行っていたので、さぞかし強靭な肉体をお持ちなのだろうと思っていました。しかし、実際にはそれほどでもなかったようです。長年の生活習慣によって、スーパーマンのように仕事に取り組むことができるようになったのだとか。
 
 
そのきっかけとなったのが、1970年に起こったよど号ハイジャック事件です。実は日野原先生はこの事件に遭遇します。このとき59歳、4日間も機内に拘束され、ハイジャック犯に殺されると死を覚悟したそうなんですが、無事解放されます。
 
 
 
 
■ 60歳を過ぎてから独自の健康法を実践!
 
 
この事件をきっかけに医師としての仕事を社会へ奉仕するつもりで取り組むようになったのだとか。当然今まで以上に忙しくなったわけですが、60歳を過ぎてから体調不良が続いたため、色々試行錯誤を繰り返しながら、以下のとおり独自の健康法を作り上げます。
 
 
とにかく多忙を極めていたようなので、朝と昼の食事(おやつにみえますが)は2~3分で済ませていたようですが、これをカバーするために毎日りんごは欠かさず食べていたようです。1日1リンゴで医者いらずは、本当だったんですね。
 
 
(1)エレベーターを使わずに階段を使う

(2)イスから立ち上がって座る運動を20回行う、
 
(3)早く歩いたり、遅く歩いたり、緩急をつけながら歩く
 
(4)毎朝ジュースにオリーブオイルを入れて飲む
 
(5)昼食はクッキー2枚と牛乳1杯
 
(6)魚はほぼ毎日食べる
 
(7)週2~3回ステーキを食べる
 
(8)毎日リンゴを1個食べる
 
 
また、日野原先生は、毎日最低60g程度のタンパク質を摂れる食事を心掛けていたようです。タンパク質は、筋肉をつくるのに欠かすことができない栄養素なので、筋肉量が低下している高齢の患者さんにも積極的にタンパク質を摂るよう勧めていたようです。
 
 
 
 
■ 意外にもジャンクフードが好き!?
 
 
しかし、青年時代にアメリカに留学していたさいに、当時生活が困窮していたため、食事(昼食)はハンバーガーなどのファーストフードが中心だったことから、100歳を過ぎても時折無性に食べたくなったようです。
 
 
今年に入って病院に入院されてから親族の方に介護を受けていたようなんですが、病院食に飽きてしまい、「かりかりのベーコンエッグを食べさせてくれ」と注文していたようです。当然のことながら治療に差し支えるので拒絶されてしまったのだとか。
 
 
生前日野原先生はFaceBookページも運営されていました。ここには学びが沢山詰まっています。是非一度覗いてみてください。
 
 
 
『現代の悩み 心の健康について』