戦死した二人の兄の教え(相田みつを)

「戦死した二人の兄の教え」

 相田みつを(書家)

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一人のあんちゃんが、
幼い時に、私の手を引いて、
よく原っぱへ紙芝居を
見に連れて行ってくれたんです。

その紙芝居を見るのに、貧しくて当時、
一銭のお金がないんですよ。

後ろのほうで気兼ねな思いをしながら、
見てたんですが、ある時、そのあんちゃんが、
襟首をつかまれてね。

「このガキは毎日毎日ふてえガキだ」と言われて、
みんなの前でピーンとほっぺたを叩かれるんですね。

その時に泣き出せば、それで終わったんですね。
あんちゃん、泣かなかった。

なぜかというと、後ろにね、弟の私がいるから、
くうっと渾身の力で私のほうを見ている。
泣かないものだから、おじさんが
「何て強情なガキだ」というんで、
反対のほっぺたを叩かれて、ほっぺたが両方、
真っ赤になりました。

その時の印象は、おじさんの手が大きくて
野球のグローブのような印象がありましたね。

私は背筋がゾクゾクして震え上がったのを、
いまだに覚えています。

やがて、その紙芝居のおじさんから解放されて、
あんちゃんは一滴も涙を流さないんですよ。
で、棒切れを拾いましてね。

いまから考えると、秋のことでした。

まんじゅしゃげの花がいっぱいに咲いているのを、
全部、折っちゃいました。

何ともやりきれない思いで、
私はあんちゃんの後ろをとぼとぼと
ついて行った経験がある。

このあんちゃんが、小学校を終えるとすぐ、
私の家はおやじが日本刺繍をやっていたので、
その跡取りになって、そのあんちゃんの働きによって、
私が旧制の中学校にやってもらったんです。

で、私が旧制中学の四年生の時に
そのあんちゃんは兵隊に行くわけですが、
ある時、裸電球を真ん中に置いて、
夜なべで刺繍してた。

私はちゃぶ台の古いのを置いて
勉強していたんですね。

その時に、あんちゃんが、

「みつをなあ、おまえも来年は最上級学生だな。
 最上級学生になると、下級生を殴る、という話を、
 俺は聞いたが、おまえだけは下級生を殴るような、
 そういう上級生にならないでくれ」

「無抵抗な者をいじめる人間なんていうのは、
 人間として最低のクズだぞ」

ということを、針を運びながらね、
懇々と言うんですよ。

「ああ、紙芝居のおじさんに叩かれたという
 心の傷が深ーいところにあって、
 それから出てくるんだろうな」

と、私はピンピン分かったんですね。

それで、その後に刺繍の手を止めて、
私の足先を指差してね。

「おまえの足な、
 足袋に穴っぽがあいてるけれども、
 ボロな足袋をはいていることは、
 一向に恥ずかしいことはないぞ」と。

「そのボロな足袋をはいていることによって、
 心が貧しくなることが恥ずかしいんだ、
 その足袋の穴から、いつでもお天道さまを見てろ」

と。

これは、私のあんちゃん、偉かったなと思うんですね。

「いつでも心は貴族のような心を
 持っていてくれ」。

三つ目に、

「貧しても鈍するな」。

この言葉の意味を当時、
私は分かりませんでしたが、

「どんなに貧しくても、
 卑しい根性を持つな」ということですね。

そして、もう一人のあんちゃんは、
こういうことを言いました。

「同じ男として生きる以上は、
 自分の心のどん底が納得する生き方をしろよ」

と。