吉田松蔭の名言

【 吉田松陰の名言 】
 
志を立てるためには人と
異なることを恐れてはならない、
世俗の意見に惑わされてもいけない!
 
 
 
(1)
 
志を立てるためには
人と異なることを
恐れてはならない
 
世俗の意見に
惑わされてもいけない
 
 
(2)
 
何事であっても、
人に対する思いやりや
 
慈しみの心を動機と
しないのであれば、
 
どうしてなし遂げる
ことができようか
 
 
(3)
 
同じではない人を
同じにしようなどとせず、
 
いわゆる、
その人の優れた
才能を育てることに
努めるべきである
 
 
(4)
 
身体が死滅しても、
その精神が
死んでいないものは、
 
昔の聖人や賢者らであり、
これらは永遠に朽ちる
ことのない人である。
 
身体は死滅していないが、
精神が死んでいるのは、
 
今のくだらない
人間の類であり、
生きながら
死んでいる人である
 
 
(5)
 
立派な人物というものは、
時間をかけてゆっくり
 
成長するものであって、
騒々しい状態では
本物の立派な
人物になることはない
 
 
(6)
 
人と交際する際には、
あるがままの心で接する
ことが大切である
 
 
(7)
 
恥を知らない
ということほど
恥ずかしいことはない
 
 
(8)
 
人の精神は目にあらわれる。
 
だから、人を見る時には、
目を見ることが大切
 
 
(9)
 
志を立てて始めたことは、
全身全霊を尽くして行い、
 
やめるのは
死んだ後だけである
 
 
(10)
 
君たち、狂いたまえ
 
 
(11)
 
大器をつくるには、
いそぐべからずこと。
 
 
(12)
 
決心して断行すれば、
何ものもそれを妨げる
ことはできない。
 
 
(13)
 
小人が恥じるのは
自分の外面である。
 
君子が恥じるのは、
自分の内面である。
 
 
(14)
 
人間たる者、
自分への約束をやぶる者が
もっともくだらぬ。
 
 
(15)
 
勉強しない人の
気持ちには3つある。
 
ひとつ目は、
「年をとりました」と。
 
ふたつ目は、
「馬鹿ですから」と。

そうでなければ、
「私は才能が高く、
もう学問は極めました」と
 
 
(16)
 
教えるの語源は
「愛しむ」。
 
誰にも得手不手がある、
絶対に人を見捨てるような
ことをしてはいけない。
 
 
(17)
 
順境にある者は
怠りがちである。
 
また、
逆境にある者は
励みやすい
 
 
(18)
 
やろうと思った事は、
その日から始めるのがよい。
 
年齢など
気にすることはないのだ。
 
思い立ったが吉日である
 
 
(19)
 
私心さえ除き去るならば、
進むもよし退くもよし、
出るもよし出ざるもよし。
 
私心がまだ
除き去られないと、
 
その進退出処みな
私心に拘われて、
道に反することとなる。
 
 
(20)
 
私は人を信じて
失敗することがあっても、
 
人を疑って失敗することは
絶対無いようにしたい
 
 
(21)
 
人の精神は
目にあらわれる。

だから、
人を見る時には、
目を見ることが大切
 
 
(22)
 
自分の価値観で
人を責めない。
 
一つの失敗で
全て否定しない。
 
長所を見て
短所を見ない。
 
心を見て
結果を見ない。
 
そうすれば人は
必ず集まってくる
 
 
(23)
 
一つ善いことをすれば、
その善は自分の
ものとなる。

一つ有益なものを得れば、
それは自分のものとなる。
 
一日努力すれば、
一日の効果が得られる。
 
 
一年努力すれば、
一年の効果がある
 
 
(24)
 
夢なき者に理想なし、
理想なき者に計画なし、
 
計画なき者に実行なし、
実行なき者に成功なし。
 
故に、夢なき者に
成功なし。
 
 
- 吉田松陰 -
 
 
 
 
■ ドラマ「花燃ゆ」で!
 
 
今回は、幕末の偉人、吉田松陰の名言を集めさせていただきました。NHK大河ドラマ『花燃ゆ』が2015年放送されたのをきっかけに、吉田松陰の人気が高まったので、絶版になった関連書籍が再発されることを期待していたのですが、ドラマ自体が余り話題にならなかったこともあって、殘念な結果となりました。
 
 
放送当時ドラマ内での吉田松陰の描かれ方に不満を感じた方も多かったようでして、歴史好きの私の知人は会うたびに文句を言ってましたが、私は個人的に俳優陣の演技が素晴らしかったので、毎回録画して観てました。
 
 
吉田松陰は、29歳で処刑されてしまったわですが、そのあまりにも短い生涯のすべてを学問に情熱を捧げながら激しく生きる姿を目にした多くの人たちの心を揺さぶり、やがて国までも動かしていく様子が見事に描かれていました。
 
 
 
 
■ 海外でも高く評価されている!
 
 
吉田松陰と金子重之輔は、アメリカ行きを目論んでペリー旗艦ポーハタン号に乗り込むも、当時日米間で和親条約が結ばれたばかり。ここで日本の法を犯すのは得策で無いとペリーは考えたため、吉田松陰の希望(アメリカに連れて行ってもらう)は、拒絶されました。
 
 
下田についてから吉田松陰と金子重之輔は自首し、牢獄に入れられて、さらし者になるも、学ぶことは決してやめませんでした。今でいうエリートがこんな目にあったら、屈辱に耐えられず、精神的に相当参ってしまうと思うのですが、当時の松陰は学問への情熱で全てを圧倒します。
 
 
生前吉田松陰は牢獄にて数々の精神性の高い書物を書き上げて、100年以上経過した今でも多くの人たちから称賛されています。しかも日本だけでなく、海外からも高い評価を得ています。松下村塾も世界遺産に認定されましたしね。本当にすごい人ですよね。
 
 
 
 
■ 決して過激な人ではない!
 
 
井伊直弼によって安政の大獄が始まると、倒幕を画策していた松陰は江戸の伝馬町牢屋敷に捕り、老中暗殺計画についてあっさり自供し、自ら「死罪」が妥当であると主張したため、周囲を驚かせます。凡人には理解できない行動ですよね。
 
 
吉田松陰は、当時あまりにも先見性がありすぎたため、映画やドラマなどでは過激な人物に描かれることも多いですが、人を魅了する力がすごく、獄中で他の受刑者の要望で学問を教えたりしてましたし、あのペリーに与えた影響は決して小さなものではありません。
 
 
たった29年しか生きてませんが、思想家としての松陰の影響力は死後160年を過ぎた今も少しも衰えてません。個人的に大変尊敬している歴史上の人物の一人なので、ぜひ近いうちに吉田松陰が祀られている松蔭神社や、正松神社へお参りさせていただきたいと思います。
 
 
 
【 人と異なることを恐れるな 】