二十代をどう生きるか

 講談師として初めて人間国宝(重要無形文化財保持者)に認定された一龍斎貞水さんが12月3日、お亡くなりになりました。15歳で入門し、講談ひと筋65年。

芸の世界においては決して早くないスタートだったにも拘らず、絶え間ない人間修養を続け、見事に道をひらかれました。『致知』2020年4月号にご登場いただいた際に語られた、これからを生きる若者へのメッセージをご紹介します。

★このコロナ禍を乗り切る「人間力」を磨こう。『致知』にはあなたの人生・仕事を発展に導く珠玉の体験談・教えが満載の月刊『致知』! 

───────────────

〈一龍斎〉
10年くらい修業を積むと、もう一丁前で世の中のことすべてが分かったと思いたくなるものです。

しかし、周りには自分の何十倍もの辛酸を嘗め、喜びも悲しみも肌で経験している人がいることを忘れちゃいけない。

20代になると、一人前ぶる人がいます。だけども、「ぶる」んじゃないぞ、「らしく」しろってよく言うんです。

勉強中なら勉強中らしくする。一人前ぶるな。二十歳(はたち)は二十歳らしくが一番いい。

20代っていうのは、ようやく善悪の判断ができ、世の中の動きも理解できるようになってくる頃。だから、本当の修業、勉強期間っていうのは20代ですよ。

私は27歳で真打(しんうち)になったけれど、真打に昇進してからが大変でした。同じ真打という肩書でも50年、60年の大ベテランと比べたら全く違う。「先代はうまかった」、その声を聴く度に、嬉しいはずの昇進というのが、ものすごく大きな壁のように迫ってきたね。

その時に、真打ぶるんじゃなくて、新真打は新真打らしく、身の丈に合った芸をする。「芸は人なり」という言葉の通り、その人の器以上の芸はできないのだから、ありのままの自分で壁を一つずつ乗り越えていくしかないんです。

伸びる人と途中で止まってしまう人、その差はやっぱり感謝や恩の気持ちを抱けるかどうかじゃないですか。スポットライトを浴びたのは、当然自分一人の力ではありません。それまで怒ってくれた人、育ててくれた人がいっぱいいるわけですよ。その人たちのおかげでいまの自分があることを忘れちゃいけないね。

だから、絶頂期こそ一番用心しなきゃいけないですよ。

(本記事は月刊『致知』2020年4月号 連載「二十代をどう生きるか」より一部を抜粋・編集したものです)