中村天風の名言

【 中村天風の名言 】
 
人間が生きていくのに一番大切なのは、
頭の良し悪しではなく、
心の良し悪しだ!
 
 
 
(1)
 
運命よりも心の力が勝てば、
運命は心の支配下になる。
 
 
(2)
 
人生あまり
難しく考えなさんな。
 
暗かったら窓を開けろ、
光がさしてくる。
 
 
(3)
 
人間が生きていくのに
一番大切なのは、
頭の良し悪しではなく、
心の良し悪しだ。
 
 
(4)
 
心のもち方一つが、
結局、人生の運命を
決定するんだ。
 
 
(5)
 
人生は生かされて
るんじゃない。
 
生きる人生で
なきゃいけない。
 
 
(6)
 
持たなくてもいい
重い荷物を、
 
誰に頼まれもしないのに
一生懸命ぶらさげて
いないか。
 
 
(7)
 
要は他人のアラや
欠点を詮索することを
止めて、
 
自分のアラや欠点の方を
詮索することである。
 
 
(8)
 
感謝するに値するものが
ないのではない。
 
感謝するに値するものを、
気がつかないでいるのだ。
 
 
(9)
 
喜びのないところには、
本当の生きがいのある
人生というものがない。
 
 
(10)
 
良い運命の主人公に
なりたかったら、
心の中に感謝と歓喜の
感情を持つことだ。
 
感謝と歓喜に満ちた
言葉と好意は、
 
人生の花園に
善き幸福という実を結ぶ。
 
 
(11)
 
明日に死を迎えるとしても、
今日から幸福になって
遅くないのです。
 
 
(12)
 
たとえ身に病があっても、
心まで病ますまい。
 
たとえ運命に
非なるものがあっても、
心まで悩ますまい。
 
 
(13)
 
どんな場合にも
 
「こまった」
「弱った」
「情けない」
「腹がたつ」
「助けてくれ」
 
なんていう消極的な言葉を、
絶対に口にしないことです。
 
 
(14)
 
もし、知識を磨いて
人間が幸せになれるなら、
 
学問を一生懸命した人は
みんな幸福に
なれそうなもんだ。
 
そして学問をしない人は
みんな不幸になるはずだ。
 
しかし、そうなっては
いないでしょう。
 
 
(15)
 
人の落ち度は、
許すより忘れてしまえ。
 
 
(16)
 
お前の頭の中に、
何が描かれているか
当ててみようか?
 
それはお前が失敗して、
しょんぼりしている
哀れな姿だろう。
 
そんな絵は
消してしまいな!
 
おまえが、
堂々と相手を説得して
「大成功」 という
シーンを描くのだよ、
そうすれば仕事も
きっとうまくいく。
 
 
(17)
 
言葉というものには、
強力な暗示力が
固有されている。

従って特に積極的人生の
建設に志す者は、
夢にも消極的の言葉を
戯れにも口にしては
ならないのである。
 
 
(18)
 
本当は心の力によって、
いかようにも人生は
好転させられる。
 
運命は自分の力で
切り拓ける。
 
 
(19)
 
幸福や好運は、
積極的な心持ちの人が
好きなんです。
 
 
(20)
 
悲しいことや
つらいことがあったら、
いつにも増して、
笑ってごらん。
 
悲しいこと、
つらいことのほうから
逃げていくから。
 
 
(21)
 
どんな場合があっても
不平不満を口にしないこと。
 
不平不満のある人は、
しじゅう上ばかり見て、
下を見ないでいる。
 
はたはみんな幸福で、
自分だけがこの世の中で
一番不幸な人間のように
考えている。
 
この考え方から
出てくる言葉は、
必ず未練であり、
 
愚痴であり、
もう価値のない世迷いごと
だけであります。
 
 
(22)
 
老若男女を問わず、
誕生日は芽出度い
ものである。
 
己はもちろんのこと、
他人の誕生日を
祝うことは、
 
「あなたが生まれて
 きたことは正しい」、
 
「今こうして
 生きていることは
 喜ばしい」
 
という存在意義を
全面的に肯定する
ことである。
 
この日常性こそ、
「藹然接人」という
思考の基本がある。
 
 
(23)
 
人間の生命を
解決するには、
肉体だけでは駄目だ。
 
心と肉体が打って
一丸となったものが
生命である以上、
 
その見地に立って、
われわれの生命の
生き方と生かし方を
研究しなければ駄目だ。
 
というのが、
私の心身統一法を
組み立てる、
思想の根本をなして
いるのです。
 
 
(24)
 
まずは人間を創れ、
魂を磨け、
さすれば幸福は
向こうからやってくる。
 
 
- 中村天風 -
 
 
 
 
■ 中村天風とは!?
 
 
今回は、中村天風さんの名言を集めさせていただきました。中村天風さんは、1876年(明治9年)、大蔵省初代抄紙局長の中村祐興の息子として豊島郡王子村(現東京都北区王子)で出生し、王子村や本郷で幼少を過ごした後に福岡市の親戚の家に預けられ修猷館中学(現・修猷館高校)に入学します。
 
 
修猷館は県立の学校でありながら、当時英語で授業を行っていたのですが、幼少期から英語を学んでいたため、他の生徒よりも授業内容を理解することが容易だっため、成績はずば抜けてよかったようです。しかし、喧嘩ばかりしていたため、常に問題児でした。
 
 
 
 
■ 肺結核を患い運命が大きく変わる!
 
 
中村天風さんは肺結核を患い、治療のためにアメリカへ渡航を試みるも、結核患者には渡航許可が下りなかったため、当時中村天風さんと親交のあった孫文の親類に成りすまして密航します。
 
 
他人になりすまして密航するなんて、誰でもできることではありませんが、実は中村天風さんは、弱冠16歳の時に帝国陸軍の諜報員(スパイ)として満州に派遣され、錦州城、九連城の偵察を行っていたので、赤の他人になりすまして、密航することくらいお手の物だったようです。
 
 
 
 
■ 世界中を放浪してヨガに出会う!
 
 
しかし、残念ながらアメリカでも期待していたような治療を受けることはできなかったため、世界中を放浪することになります。しかし、決定打となる治療法に出逢うことができませんでした。道中色々と騙されたりしたようです。
 
 
日本人ということで差別的扱いも受けたようなんですが、中村天風さんは、上述したとおり、元来喧嘩が大好きで、武道にも長けていたので、見知らぬ土地を訪れても恐れることはなかったようです。
 
 
そして、インドに立ち寄った際にヨガに出会い、日本人初のヨガ修行者となって、2年半修行し、その間に肺結核は完治することとなり、日本へ帰国することとなります。その間の経験が高く評価されて思想家、実業家として晩年まで活動します。
 
 
 
 
■ 心の持ちようがなにより大切!?
 
 
私も健康とは程遠い生活を送っていことが災いし、体調不良に苦しんでいました。色々な診療科をたらい回しにされながらも、決定打となる原因は見つかりませんでした。
 
 
もう毎日不安で不安で仕方がないときに中村天風さんの本を読む機会を得て、その瞬間に病気が治ると確信しました。それくらい中村先生の言葉は私の心を解き放ってくれたのです。以後呼吸法やヨガを習い始め、早朝に起きてジョギングが出来るようにまで健康が回復しました。
 
 
ジョギングといっても、最初は50mが精いっぱいだったのですが、6ヶ月後には10キロの距離を気持ちよく走れるようになり、もう10年以上にわたって習慣化しています。