一生勉強!福沢諭吉の名言

人に貴賎はないが
勉強したかしないかの差は大きい!
努力は、「天命」さえも変える!
福沢諭吉の名言

【 一生勉強!福沢諭吉の名言 】

(1)

賢人と愚人との別は、
学ぶと学ばざるとによって
出来るものなり。

(2)

金銭は独立の基本なり。

これを卑しむべからず。

(3)

みだりに人を軽蔑する者は、
必ずまた人の軽蔑を
免るべからず。

(4)

ペンは剣よりも強し。

(5)

読書は学問の術であり、
学問は事業の術である。

(6)

活用なき学問は、
無学に等しい

(7)

今日も、
生涯の一日なり。

(8)

独立の気力な者は
必ず人に依頼す、

人に依頼する者は、
必ず人を恐れる、

人をおそるる者は
駆らず経鬼

(9)

人生は芝居のごとし、
上手な役者が乞食に
なることもあれば、

大根役者が殿様に
なることもある。

とかく、
余り人生を重く見ず、
捨て身になって
何事も一心になすべし。

(10)

人に貴賤はないが
勉強したかしないかの
差は大きい

(11)

天は人の上に人を造らず、
人の下に人を造らず

(12)

自分の悪かったことに
気が付いて
改めるというのは
立派なことだ

(13)

一家は習慣の学校なり。
父母は習慣の教師なり

(14)

顔色や容貌を、
いきいきと明るく
見せることは、
人間としての基本的な
モラルである。

なぜなら人の顔色は、
家の門口のような
ものだからである。

広く人と交際して、
自由に付き合うには、
門をひらき入口を清潔にし、
客が入りやすくする
ことが大事である。

(15)

人間は、
負けるとわかっていても、
戦わねばならない時がある。

だから、
たとえ負けても勝っても、
男子は男子なり。

勝負をもって人物
を評することなかれ。

(16)

努力は、天命さえも変える。
やってもみないで
事の成否を疑うな。

(17)

苦は楽の種で、
楽は苦の前兆である。

(18)

金銭は独立の基本なり。

これを卑しむべからず。

(19)

学問を志した以上、
大いに学問に励むべきだ。

農業に就くなら豪農に、
商業に入るなら
大商人になりたまえ。

学生は小さな安定に
満足してはならない。

粗衣、粗食、寒暑に耐え、
米をまき、薪を割り、
それでも学問は
できるのである。

(20)

かくして、
人たるものは、

他人の権利の妨げさえ
しなければ、
自由に行動すべきで、

他人の利害に
関係せぬ以上は、
はたからあれこれ
口を出されるいわれはない。

好きなところへ行き、
いたいと思う場所にとどまり、
遊ぼうと働こうと、

遊ぼうと寝ていようと、
それは本人の勝手なのである。

(21)

自由を得た結果、
不自由を感じている。

(22)

世の中で
一番みにくいことは、
他人の生活を
うらやむことです。

(23)

世の中で一番尊いことは、
人のために奉仕し、
決して恩にきせないことです。

(24)

世の中で一番悲しいことは、
うそをつくことです。

「 福沢諭吉 」

■ 明治維新後に大活躍!

今回は、福沢諭吉の名言を集めさせていただきました。福沢諭吉は吉田松陰や高杉晋作らと同じ時代を生きたわけですが、幕末よりも明治維新後の活躍で知られ、「慶應義塾」や法律・経済学校である「専修学校」(後の専修大学)、商業学校である「商法講習所」(後の一橋大学)などの創設に尽力しています。

また、生涯に多くの著作を発表しており、明治維新後の日本が中華思想・儒教精神から脱却して西洋文明を積極的に受け入れる流れを作ったとも言われています。ちなみに「演説」「競争」「自由」「哲学」「西洋」など当時の西洋文化の概念を日本語に訳して定着させた功績はあまりにも大きいです。

■ 「学問のすすめ」は今でいう自己啓発本だった!

小学生のころ夏休みの宿題で読書感想文がありましたよね、私は事もあろうに「学問のすすめ」選びました。あの名著を選んだことを夏休みが終る2日前に後悔しました。「学問のすすめ」は、今で言うところの自己啓発本ですから、小学生の私には正直難しすぎて困り果てました。

そして、夏休み最後の日になっても読み終えることができませんでした。しかたがないので、とりあえず「この本を読んで僕は目標に向って努力することの大切さを学ぶことができました。」といったようなことを書いて提出しました。

苦し紛れに心にもないことを適当に書いたのですが、それが当時の担任の先生に評価されてしまい、優秀作品として皆の前で読まされました。あれは本当に心が痛みました。

嘘はつくものではないなと思いながらも、「学問のすすめ」という本だけは生涯忘れることのできない本となったので、成人してから何度も読み直しました。そのたびに新しい発見があるので、自分の成長を確認するうえでも非常にためになりました。

しかし、感想文に書いたような生き方が自然とできるようになったことが逆に良かったのかもしれません。それくらい「書く」ことにはとてつもない力があるんだということですね。