『偉人を育てた母の言葉』(大坪信之・著)

北野武は東京都の足立区で、
父・菊次郎と母・さきの間に
五男として生まれます。

武の母・さきは独自の教育論を持ち、
教育を第一に考える女性でした。

若い頃から頭の回転の早い女性だった彼女は
子どもたちの教育と成長を
何よりも大切に考え、そのためには
寸暇を惜しまず手を貸しました。

貧しかった北野家では、小さな裸電球の下の
みかん箱のような机で、
子どもたちが勉強をしていました。

しかし、父・菊次郎が帰ってくると
電球が明るくて眠れないと怒鳴ります。

そこでさきがどうしたかというと、
大きな懐中電灯と塩むすびを携えて、
近所の街灯の下へ出かけていくのです。

そこでしゃがんで本を読む子どもたちを、
ずっと懐中電灯で照らしていた
というのだから驚きです。

武が幼少期に教育熱心な母に
教えられて蓄えた教養や考える力は、
タレント、映画監督、作家、教授など
様々な分野にわたる活躍の礎となりました。

母の存在があったからこそ、
武の才能が育まれたのです。

そんな母・さきですが、
武が「ツービート」として
有名になり始めた頃から、
お金を母に納めるよう、
しつこく訴えるようになりました。

武は母も金の亡者になってしまったのかと
半分あきれていたそうです。

しかし、後になって
真実が明らかになります。

さきが亡くなる数か月前のことでした。
武は軽井沢に母をお見舞いに行き、
その帰り際に姉から包みを受け取ります。

さきからだというのです。

包みを開けた武は息を呑みました。

それは彼名義の郵便預金通帳と
印鑑だったのです。

さきが武から小遣いとしてねだり
受け取っていたお金は
一銭も使うことなく、すべて彼のために
貯金されていたのです。

さきはいつも、
「芸人はいつ落ち目になるかわからない」
と彼を案じていました。

彼の人気がなくなっても困らないようにと
お金を貯めておいたのです。

彼はこの包みを握りしめ、
涙が止まらなかったといいます。

武は自ら母のことが大好きだと
公言しています。

「30歳を過ぎて親を許せない奴はバカだ」
とも言っています。

海よりも深い愛情と熱心な教育、
心を尽くした母・さきの子育ては
北野武の心に大きな影響を与え。
類まれなる才能を育てたのです。

◆あなたの子の才能を引き出す愛し方
『偉人を育てた母の言葉』(大坪信之・著)


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