「大勝軒」山岸一雄さんを偲んで

4月1日、人気ラーメン店
東池袋「大勝軒」の創業者・
山岸一雄さんが80歳で
逝去されました。謹
んで
ご冥福をお祈り申し上げます。

 

ラーメン業界に大きな影響を与え、
「つけ麺の生みの親」と呼ばれた山岸さん。
“ラーメン1杯”に懸ける思いは、
ドキュメンタリー映画に描かれたほど、
人一倍深く、強いものでした。

そこで本日は山岸さんを偲び、
生前お伺いした、創業されてから
人気ラーメン店に至るまでの
困難や挫折、「心」を大切にする
生き方を語っていただいた記事を
ご紹介します!!

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東池袋・大勝軒
昭和36年の創業以来、
多くのお客様に愛され、
日本で初めて「つけ麺」を
販売したことでも知られる当店は、
平成19年3月20日、
最後の営業日を迎えました。

閉店を知るや、
11時から15時までの営業時間
めがけて全国からお客様が殺到し、
当日までの数週間は泊まり込みで
並ばれる方もいたほどです。

閉店当日、ヘリコプター3機を含む
マスコミが取材に殺到し、
店先には500人近くのお客様が
長蛇の列をつくっています。
その光景を見た私は、
何とも言い表せない思いが
込み上げてきました。

妻と二人、裸一貫で始めた
小さなラーメン屋が、
いまやこんなに多くのお客様に
愛される店になったのだ。

しかし、それは決して
平坦な道のりではありませんでした。
55年に及ぶラーメン人生を
振り返ると、2つの大きな試練が
あったのです。

幼い頃から慕っていた従兄弟に
誘われ、ラーメン職人への道を
歩み始めたのは17歳の時です。

下積み時代はとにかくがむしゃらに
働きました。
休みは1か月に1回、睡眠は
平均3時間という生活でしたが、
それを辛いと思ったことは
ありません。

自分にはこの仕事しかないと
覚悟を決め、不平不満を言わず、
人一倍努力しようと心に秘めて
修業に励んできました。

そして修業から10年目の
昭和36年、従兄弟の許しを得て
27歳で独立。
これが東池袋大勝軒の始まりです。

店は日を追うごとに
繁盛していきましたが、
私には一つの不安がありました。

独立前から感じていた
両足の痛みが悪化し、
見ると長靴も履けないほど
パンパンに腫れ上がっていたのです。
長時間の立ち仕事が原因の
静脈瘤でした。

すぐに手術をし、
リハビリを開始しましたが、
その間3か月の休業を
余儀なくされました。
これが一つ目の試練です。

病弱な妻は

「これからは私が先頭に立って
やるからね」

と、麺上げなどの力仕事を
引き受けてくれました。

その気丈な姿を見るたびに
胸が引き裂かれる思いでしたが、
妻とお客様の笑顔を支えに、
痛みに耐えて厨房に立ち続けました。

しかし、そんな綱渡りのような
生活を奪う、
二つ目の試練が訪れました。
妻が末期の胃がんに
侵されていたのです。

病名が分かった時点で
すでに手遅れでした。

「老後は二人で楽しくやろう」

を合言葉にここまでやってきたのに、
一体どうして……。

告知から1か月後、
妻を失った私は生きる気力を
完全に失いました。

店は、妻の病気が発覚してから
ずっと休業していました。

7か月がたち、
何をしても妻との思い出が甦り、
店をたたもうと
決意した日のことです。

身辺整理のために店に出向くと、

「しばらく休みます」

とカレンダーの裏に書いた貼り紙に、
お客様からの激励のメッセージが
びっしりと書き込まれていたのです。
数えると39個もありました。

「早く元気になって
おいしいラーメンを
食べさせてください」
「楽しみに待っています」
「再開はいつですか」

思い返せば、ラーメンブームに乗って
他店が派手な宣伝を始めた時も、
私たちはコツコツと味の研究を重ね、
口コミで評判を呼んでいきました。

気づかぬうちに、
こんなにも多くの方々が
私のラーメンを
待っていてくれたんだ。
ここでもう一度頑張ってみよう。

その後、私はこれまで以上に
ラーメン一本で生きていくことを
決意しました。

炒飯などご飯もののメニューをやめ、
体調を考慮し営業時間を短縮。
店に寝泊まりしてラーメン作りに
全精力を注ぎました。

短時間で集中的に営業するため、
妻の死を機に
初めて弟子を受け入れたのも
この頃です。

それはいわば53歳からの
再出発でした。

ラーメンに限らず、
一流の職人は皆
「ものづくりは
心が入っていないとだめだ」

と口を揃えます。
同じように、
私がラーメン作りで最も大切だと
思っているのは、
素材やお客様への感謝の心です。
これまで弟子たちには、
この「心」の大切さについて
繰り返し言い聞かせてきました。

その原点となっているのは、
 幼い頃に国民学校で受けた
修身」教育です。11150294_886592378050977_3976110022081263844_n

 そこでは周囲の環境に感謝し、
 礼儀を重んじること。
 そして年長者を敬い、
 人の見ていない所でも手を抜かず、
 どんな時も努力を積み重ねることの
 大切さを学びました。

ラーメン作りにおいて、
今日までその姿勢を
貫いてきたことが、
大勝軒がお客様に飽きられず、
行列の絶えない店で
あり続けられた理由かもしれません。

一度は閉めた当店も、
再開を望む多くのご要望が寄せられ、
昨年リニューアルオープンを
迎えることができました。
店は弟子に任せていますが、
74歳のいまでも
毎朝スープの味を確認し、
店先に座ってお客様を
お出迎えしています。

現在、全国に130人を超える
弟子たちが活躍していますが、
彼らが独立する時、私はよく

「人生の試練に打ち勝て」

と色紙に書いて贈ります。

開業後、遅かれ早かれぶつかる
様々な試練を乗り越えるためには、
困難に打ち勝つ心が必要です。

我が子のような弟子たちには、
仕事を通じてどんな試練にも負けない
強い心を養ってほしい。
そう願ってやみません。

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山岸一雄
(東池袋大勝軒・初代店主)


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