人を偲ぶ心の優しさ

お寺の副住職として、いまも
縁ある人たちに、親を偲ぶ
心の大切さを伝え続ける西端春枝さん。

こういう親孝行もあるのか──

そんなふうに思わせてくれる
西端さんのお話に、
心の温度がちょっとだけ上昇しますよ。

◆ 人を偲ぶ心の優しさ ◆

最近はタクシーを
使うことが増えましてね。

その時にはできるだけ運転手さんに
話し掛けるようにしているんです。

この前も

「あんた、お母さんいてはるの」

とお聞きすると、小学校の頃に
亡くなったと言うんですよ。

でも具体的に何月何日
だったかは覚えていないし、
ある運転手さんは
両親の命日を知らない。

中にはお兄さんと喧嘩して
家を飛び出したから、
どこのお寺さんに行けば
いいのか分からないという。

こういう人たちに出くわすと、
もう黙っていられないから
身を乗り出して説教が
始まるんですよ(笑)。

彼らはいつも車で走っているので、
お寺の前を通ったら、ちょっとでも
頭を下げるようにと言うんです。

それだけでもいいって。

──それだけですか。

そう。でもね、そうすれば、
自然とお母さんのことを思い出したり、
心の中でお父さんに
話し掛けられるようになるんです。

そうやってご自身が亡くなるまで、
折に触れて親のことを
偲ぶことも親孝行なんですよ。

そしてこのような話をしながら、
私自身もまた自分の
親のことを偲んでいる。

ある運転手さんが私と話し込んで、
つい道を間違えてしまって
遠回りしたことがありました。

彼はしきりに謝りましたが、
それよりも私は「遠回り」
というのが懐かしいなと思ってね。

なぜかと言えば、子供の頃に母親から
「はよ帰っておいで」と
言われていたんだけど、機嫌が悪くて
遠回りして帰ったことがあったんです。

つまらないことして、親を困らせてね。

そんな懐かしい母との思い出を、
思わぬ人の言葉で思い出せるんです。

──それもまた親孝行だと。

父は親孝行なんて、
親が生きている間に
満足にできているなんて思うな、
と言っておりました。

親が子を思う心の半分も、
お返しなんぞできるものではないと。

だから昔の人はお盆の時に、
墓石を洗いながらこんな詩を
思い浮かべていたんです。

「父母の背を流せし如く墓洗う」

いま生きていれば一遍でも
背中を流してあげるのにな、
と思う時にはもう親はいないんですね。

だからせめて父母の背中を
流すつもりで墓石を洗う。

こうやって一つひとつの
出来事を通じて、私たちは
亡き親を偲ぶことができるんですね。

西端 春枝(真宗大谷派淨信寺副住職)


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