『命の器』宮本輝 著より

運の悪い人は、
運の悪い人と出会って
つながり合っていく。

へんくつな人は
へんくつな人と親しんでいく。

心根の清らかな人は
心根の清らかな人と、

山師は山師と出会い、
そしてつながり合っていく。

実に不思議なことだと思う。

「類は友を呼ぶ」ということわざが
含んでいるものより、
もっと奥深い法則が、
人と人の出会いをつくりだしている
としか思えない。
 

どうしてあんな品の悪い、
いやらしい男のもとに、

あんな人の良さそうな
美しい女が嫁いだのだろうと、

首をかしげたくなるような夫婦がいる。

しかし、そんなカップルを
じっくり観察していると、

やがて、ああ、なるほど と
気づくときがくる。

彼と彼女は、
目に見えぬその人間としての基底部に、
同じものを有しているのである。

それは性癖であったり、
仏教的な言葉を使えば、
宿命とか宿業であったりする。
 

それは事業家にもいえる。

伸びていく人は、
たとえどんなに仲がよくとも、
知らず知らずのうちに、
落ちていく人と疎遠になり、

いつのまにか、
自分と同じ伸びていく人とまじわっていく。

不思議としか言いようがない。

企んでそうなるのではなく、知らぬ間に、
そのようになってしまうのである。
 

最近、やっと
この人間世界に存在する数ある法則の中の
ひとつに気づいた。

「出会い」とは、
決して偶然ではないのだ。

でなければどうして、
「出会い」が、
ひとりの人間の転機と成り得よう。
 

私の言うことが嘘だと思う人は、
自分という人間を徹底的に分析し、
自分の妻を、あるいは自分の友人を、
徹底的に分析してみるといい。

「出会い」が断じて偶然ではなかったことに
気づくだろう。

(『命の器』宮本輝著より一部要約して引用)

※ライフタイムシェアより