「祈り」と「願い」

「祈り」と「願い」

神社仏閣は「○○○してください」と
「お願いするところ」ではなく、
「今の自分がいかに恵まれてありがたいか」を
「感謝しにいく場所」
「目が見えることに、感謝」
「耳が聞こえることに、感謝」
「自分の足であるけることに、感謝」
「食べられることに、感謝」
すべてが感謝なんです。
「今の商売が気にいらない。もっと売上を伸ばしたい」
と商売繁盛を願ったり、
「もっとすてきな人と出会いたい」
と良縁祈願をしたり、
「私も妻も、子どもたちも、家族みんなが病気になりませんように」
と家内安全を願うことは、
「淡々と過ぎる日常」を
与えてくださった神様に対して、
「宣戦布告」をしているようなものです。
そもそも「祈り」の本来の意味とは、
「意」に「宣」と書き、「意のままに沿う」こと。
つまり、
「あなたの仰せに従います。
あなたが望むように生きています。
ありがとうございます。」
という意味だったのですが、現在は違う意味で使われています。
そして、「願い」の本来の語源も「ねぎらい」。
「ねぎらい」とは、
「よくしてくださってありがとうございます」
という感謝をいうことでした。
「祈り」と「願い」は、本来は、
両方とも「感謝すること」だったのです。

出典元:(「もうひとつの幸せ論」ダイヤモンド社)

※すべての人が幸せになる魔法の言葉たちより