「他人は他人、自分は自分」

人よりもしあわせになりたい。
豊かな生活がしたい。
会社で出世してよりよい
ポスト・収入を得たい。
健康で若々しくありたい。
意欲は人生を充実させる
原動力となります。
しかし、たくさんの欲望が
ふくらみすぎると心身ともに
疲れてしまいます。
なぜなら、
ふくらみすぎた欲望に
現実が追いつくことは
そう簡単なことでは
ないからです。
たとえ、かなったとしても、
やがて消えてしまうことが
ほとんどではないでしょうか。
だから、
いつまでたっても満たされず、
また追いかける。
その繰り返しで疲れてしまう、
そうではないでしょうか。
「足るを知る」という
先人の言葉がありますが、
この言葉を知っていても、
わたしたちの多くは足るを
知りません。
それは、なぜなのでしょうか。
もしかしたら、
「他人と比べること」が 
要因のひとつかもしれません。
たとえば、
有名人の豪邸を見て「いいなぁ、
自分の家はウサギ小屋のように
ちいさくて・・・」
などといったりすることが
あるでしょう。
でも、その豪邸がどんなに
大きかろうと、自分の家の
サイズは建てた当時のサイズと
変わらないはずです。
誰かの豪邸を見ていると、
自分の家がちいさく見えて
しまうのです。

人と比べるのをやめると
楽になる。

わたしたちには誰かと比べて、
自分がもっていないものに
注目してしまうクセがあります。
このクセをやめてしまえば、
ずいぶん楽になるのです。
しかし、頭でわかっていても
心はいうことを聞いて
くれませんね。
そのうえに努力して得たものを
なくさないよう、必死に
しがみつく。
それが、わたしたち人間です。
そして、しあわせになりたい、
自由になりたい、と思って
努力しているうちに、
いつのまにか得たものに
しばられてしまうのです。

けれど、それまで職場や家庭で
はたしてきた役割・役職から
離れたことがきっかけで、
このしばりから解放される
ことがあります。
たとえば、がんなどの病を
わずらい、それまで身に
着けていた衣服をパジャマに
着がえ、ベッドに横たわる。
そのときは大企業の社長も、 
医者も、父親も、母親もない。
ただのいち個人です。
そうなったとき、人は深く
静かに考えるのです。
わたしにとって、
人生の目的とはなんだろうか、と。
これから、わたしは、
いかにして生きていくべき
だろうか、と。

「他人は他人、自分は自分」