「ある青年の覚醒」

もう一人、これは本欄で以前
取り上げたことのある青年の話です。

この青年は26歳でがんになりました。

手術ができないほど深刻な状態でした。

私は父親からお手紙をいただいて、
青年を見舞ったのですが、
驚くことにベッドから立ち上がり、
病人とは思えないほどの笑顔で
私を迎えてくれました。

そして、こう言ったのです。

「僕はこの病気になって、
当たり前の生活が
いかにありがたいかが、
よく分かりました。

辛さよりもそれを知った
ことの嬉しさのほうが、
ずっと大きいんです」

彼は鍼灸師として埼玉県内の
病院に勤務していましたが、
自らの病をとおして患者さんの気持ちに
寄り添うことの大切さを知るとともに、
それまで上から目線だった自分を
本当に恥ずかしく思った、とも話してくれました。

当たり前であることの
ありがたさに目覚めたこと。

医療者としての心のあり方が分かったこと、
これもギリギリの環境の中で掴んだ
魂の声だったに違いありません。

そして、彼もまた奇跡的な回復を遂げ、
いまは医療現場へと復帰しています。

さらに驚くことには、彼が入院していた病院の院長が、
その前向きな明るい姿に心打たれ、
彼をスタッフの一員として迎え入れたことです。

※本文の最後はこう締め括られています

「人生に起こる出来事は何一つとして
意味のないものはありません。
青年に訪れた試練も、自分の天命に
目覚めさせるための大切な
プレゼントだったのでしょうか」

みなさんは、大切なプレゼントを
受け取られていますか?

鈴木秀子(国際コミュニオン学会名誉会長)


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