自分のことしかなかった。でも30代はそれでもいいんじゃない。作曲家 坂本龍一の言葉
心に響くMOVIE
(1)
たとえば、一生かかっても僕が会うことがないだろうルーマニアの小さな村のおばちゃんが、たまたま僕の音楽を耳にして、「ああ!」と思ってくれる音楽を作ることができるのか。
そこが僕の基準です。
(2)
とても反語的なんだけど、アートはお金のあるところでしか発展しない。だから、世の中の必要性などに反して、自分の道を行け。アーティストの条件なんてないし、学校でアートを学ぼうなんて、もうそこからダメ。
(3)
僕のエコ意識はあくまでも『エゴイストのエコ』なんですよ。自分が安全なものを食べたい、おいしい水を飲みたい、きれいな空気を吸いたい、自分の愛する家族や子どもたちにもそうであってほしいという気持ちからです。
(4)
今の日本の音楽の状況を、哲学のたとえでいうなら、いまの日本のバンドの子たちは、欧米の哲学書をいっさい読まないで日本の先輩の本だけでもうわかった気になって、それ以上原典にさかのぼらないというような、そういう、内向というか…
(5)
『ラストエンペラー』の音楽は、東京で1週間、ロンドンで1週間、合わせてわずか2週間という地獄のようなスケジュールの中で書き上げ、録音したものです。ほとんど不眠不休での作業を終えたあとは、過労で入院という、僕としては初めての事態になってしまいました。
(6)
個人のオピニオンを求められない社会。
まさに官僚とかがそうなんですけど、むしろ言わないことが是とされるぐらいの社会で。
はっきりしたことを言うと煙たがられる。
西洋社会はまったく反対で、
曖昧だと、『こいつバカなんじゃないか?』って思われる社会なんですよね。
(7)
僕は、やるからには常にうまくいくことしか考えていません。
小心者というか、石橋を叩いても渡らないタイプだから、そもそも負ける喧嘩はしない。
失敗の可能性がちらつくものには近づきません。
(8)
練習嫌いのぼくがいうと説得力がないかもしれないけど、とにかく好きな音楽を弾くのが一番。好きな音楽だったら、うまくなりたいと一生懸命練習するでしょう。
(9)
父は僕に、簡単に何かになろうとするなと言ってくれていました。
30歳までは遊んでいろと。
自分が分かるまでは仕事なんて選べないということだったのでしょう。
そして今は僕もそう思うのです。
(10)
自分の居場所なんて、自分で決めればいいんだよ。
(11)
僕のなかでは“モテる”とか、もっと言うと“金がほしい”ということと音楽が結びついていなかった。
(12)
100年後にも人々に聴かれている音楽をつくること。
自分を漱石と比較する気はないけれど、
漱石が死んだ年をとっくに過ぎてしまったことに忸怩(じくじ)たる思いがある。
(13)
ぼくの現在の気持ちは、友達が大切、ということとは異なります。
因みに現在のぼくの友達の定義は、ぼく(ぼくたち)に何らかの危険があった時に真っ先に電話をする人、です。
そうなると、ただしゃべっていておもしろい人とかは、落ちます。
もっと本当に頼れる人。そうするとほとんどいない。
(14)
1日16時間くらい仕事しても全然平気でした。
僕をマネジメントしてる人たちが体調崩してバタバタ倒れていく中で、僕だけが馬並みの体力で、事務所の人が「あいつにトリカブトを飲ませて、カラダを弱らせろ」って言ってたくらい。
自分のことしかなかった。
でも30代はそれでもいいんじゃない。
いずれできなくなる日が来るから。
(15)
僕は与えられたチャンスには挑んでいったけど、自分の背中を誰かに押してほしいと思ったことはまったくありませんでした。
若いときには、たとえ一歳でも年上の人間は全部敵だと思っていて、その人たちの言うことは絶対聞くものかと思って生きてきたからです。
それくらいの気概を持っていないと、本当に何もできないのです。