『すべてを活かす』

『すべてを活かす』

どんなに寒くても。
どんなに暑くても。
飢えや渇きがあっても。
風に吹かれても。
強い日差しに照らされても。
思い通りにいかない日があっても。

それでも、
自分の信じる道を歩み続ける。

お釈迦さまは、
「寒さにも、暑さにも、飢えにも、渇きにも、風にも、日差しにも耐え、犀(さい)の角(つの)のようにただ独り歩め」
と示されました。

これは、
人を拒みなさい、という教えではありません。

孤独になりなさい、という教えでもありません。

まわりに流されず、
状況に振り回されず、
人の評価に心を奪われすぎず、
自分が本当に歩むべき道を見失うな、
という教えだと思うのです。

どんなことがあっても、
自分の信念を貫き通す。

そしてその信念を、
自分だけのために使うのではなく、
自他の命を活かす道として歩んでいく。

それこそが、
私たちに与えられた命の使い方ではないでしょうか。

食事をいただく前に唱える、
五観の偈(ごかんのげ)というお唱えがあります。

永平寺での修行中、
食事をいただく前には、必ずこの五観の偈をお唱えしておりました。

これは、ただ食前に唱える言葉ではありません。
ただ「いただきます」を丁寧にしたものでもありません。

食事を通して、
いただいた命をどう受け取り、
自分の命をどう保ち、
この身を何のために使っていくのか。

その誓いを立てる言葉です。

一つには功の多少を計り、彼の来処を量る。
ひとつには、こうのたしょうをはかり、かのらいしょをはかる。

この食事が、
どれほど多くの働きによって、
自分の前に届けられたのかを思う、ということです。

お米一粒にも、
野菜一つにも、
魚や肉にも、
育てた人、運んだ人、調理した人、
雨、土、太陽、自然の恵み、
そして多くの命があります。

食事は、いきなり目の前に現れたものではありません。

数えきれないご縁と働きの積み重ねによって、
今、自分の前にあるのです。

二つには己が徳行の全欠を忖って供に応ず。
ふたつには、おのれがとくぎょうのぜんけつをはかって、くにおうず。

この食事をいただくにふさわしい自分であるか、
自らの行いを省みる、ということです。

これは、
「自分なんか食べる資格がない」
という意味ではありません。

いただいた命やご縁に対して、
自分はどのように生きているのか。

自分の命を粗末にしていないか。
人の命を軽んじていないか。
今日いただく力を、どう善き方向へ使うのか。

食事の前に、
自分の在り方を見つめ直すのです。

三つには心を防ぎ過を離るることは貪等を宗とす。
みつには、しんをふせぎ、とがをはなるることは、とんとうをしゅうとす。

貪りの心を離れる、ということです。

もっと欲しい。
もっと良いものがいい。
これは嫌だ。
あれが足りない。

私たちの心は、
食事ひとつにもすぐに欲を起こします。

しかし、欲に振り回されて食べるのではなく、
感謝をもっていただく。

不足を見るのではなく、
恵みを見る。

当たり前ではなく、
有り難いものとして受け取る。

その心を整えるのです。

四つには正に良薬を事とするは形枯を療ぜんが為なり。
よつには、まさにりょうやくをこととするは、ぎょうこをりょうぜんがためなり。

食事を良薬としていただく、ということです。

食事は、快楽のためだけにあるのではありません。

この身体を保ち、
弱った身を養い、
今日を生きる力をいただくものです。

食べることで、
この身体が動き、
言葉を発し、
誰かを助け、
祈り、働き、学び、成長することができる。

食事は、
自分の命を整えるための良薬なのです。

五つには成道の為の故に今此の食を受く。
いつつには、じょうどうのためのゆえに、いまこのじきをうく。

ここが、とても大切です。

私たちは、
ただお腹を満たすためだけに食事をいただくのではありません。

この身を保ち、
この命を養い、
仏道を成していくために、
今、この食をいただくのです。

食べ物という命の循環のうえに、
私たちの命は成り立っています。

命をいただいて、
自分の命を保っている。

だからこそ問われるのです。

このいただいた命を、私はどう活かすのか。

食べ物の命も。
自分自身の命も。

ただ消費して終わるのではなく、
ただ満腹になって終わるのではなく、
いただいた命を、
自分の成長として、
学びとして、
優しさとして、
祈りとして、
誰かを支える力として活かしていく。

その誓いを立てて、食事をいただく。

それが、五観の偈の心なのだと思います。

私は、食べ物から私たちは応援されているのだと感じます。

「あなたの命を保ちなさい」
「一歩でも成長しなさい」
「一つでも学びなさい」
「そして、その学びを誰かに分け与えなさい」

そう言われているように思うのです。

食べ物は、ただ身体を満たすためだけに、
私たちの中へ入ってくるのではありません。

私たちが、また誰かを活かすために、
この身の中へ入ってきてくださるのです。

だからこそ、
いただいた命を、自分の中だけで終わらせてはいけない。

自分の命を保ち、
自分を整え、
自分を育て、
そしてその力で、
また誰かの命を活かしていく。

食事とは、
自他の命を活かす始まりなのです。

そしてこれは、
食べ物だけの話ではありません。

私たちがこれまで歩んできた経験も、
すべて同じです。

楽しかったこと。
嬉しかったこと。
学ばせていただいたこと。
人に支えられたこと。

それだけではありません。

悲しかったこと。
苦しかったこと。
悔しかったこと。
恥ずかしかったこと。
自分を責め続けたこと。
誰にも分かってもらえなかったこと。

そのすべても、
自他の命を活かす方向へ使っていくことができます。

過去は変えられません。

しかし、
過去の意味は変えることができます。

あの苦しみがあったからこそ、
今、同じように苦しむ人に優しくなれる。

あの失敗があったからこそ、
今、誰かに「大丈夫」と言える。

あの孤独があったからこそ、
今、人の孤独に気づける。

あの遠回りがあったからこそ、
今、近道だけでは得られない深みがある。

そうやって、
これまでのすべてを、
命を活かす方向へ転換していくのです。

どんな天候であっても、
犀の角のようにただ独り歩む。

これは、
ただ耐え忍ぶだけの教えではありません。

自分の信念を失わないこと。
自分の仏道を見失わないこと。
自分の命の使い方を諦めないこと。

そして、
たとえ苦しみがあっても、
たとえ悲しみがあっても、
たとえ遠回りをしてきたとしても、

そのすべてを、
自他の命を活かす方向へ転じていくこと。

それが、
私にとっての仏道であり、
命を輝かし活かす道であります。

もう、過去をただ悔やむだけで終わらせなくていい。

もう、苦しかった経験を、
「なかった方がよかったもの」として閉じ込めなくていい。

もう、自分の人生を、
失敗だらけだったと決めつけなくていい。

あなたが歩んできた道には、
必ず意味があります。

あなたが流してきた涙には、
必ず誰かを照らす光が宿ります。

あなたが越えてきた苦しみには、
必ず誰かの命を支える力があります。

だからこそ、
その人生を、どうか粗末にしないでください。

あなたの命を、
どうか小さく扱わないでください。

あなたの経験を、
どうか眠らせたままにしないでください。

私は、これまで学んできたこと、
悩んできたこと、
苦しんできたこと、
救われてきたこと、
気づかせていただいたこと。

そのすべてを、
必要としてくださる方へお渡ししていきたいと思っております。

私も今まで学んだ全てをお渡しする覚悟を持っております。

それは、私自身の人生を活かすことであり、
同時に、出会ってくださる方の命を活かすことでもあると思うからです。

私のコーチングは、
ただ前向きな言葉をかけるだけのものではありません。

あなたが歩んできた人生を否定せず、
苦しかった経験も、
悲しかった記憶も、
積み重ねてきた学びも、
すべてを見つめ直し、

自分の命を輝かし、
自他の命を活かす方向へ転換していく道です。

自分の信念を取り戻し、
まわりに流されず、
自分の人生をもう一度、
自分の足で歩み出す。

そしてその歩みが、
自分だけではなく、
家族を活かし、
周りを活かし、
出会う人の命をも照らしていく。

そこに、
私が届けたいコーチングの道があります。

人生は、
すべてを活かすことができます。

食べ物も。
経験も。
悲しみも。
苦しみも。
学びも。
出会いも。
別れも。
涙も。
祈りも。

すべてを、
自他の命を活かす方向へ使っていく。

その時、
人生はただの過去の積み重ねではなくなります。

今ここから、
誰かを照らす灯りになります。

どんなことがあっても、
犀の角のように、
自分の信じる道を歩む。

いただいた命を大切に。
歩んできた人生を大切に。
そして、そのすべてを活かしてまいりましょう。

                                                                元輝合掌🙏