18歳の回天特攻隊員の遺書

【18歳の回天特攻隊員の遺書】

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お母さん、
私は後3時間で祖国のために散っていきます。

胸は日本晴れ。

本当ですよお母さん。少しも怖くない。

しかしね、
時間があったので考えてみましたら、
少し寂しくなってきました。

それは、今日私が戦死した通知が届く。

お父さんは男だから
わかっていただけると思います。

が、お母さん。
お母さんは女だから、優しいから、
涙が出るのでありませんか。

弟や妹たちも兄ちゃんが死んだといって
寂しく思うでしょうね。

お母さん。

こんなことを考えてみましたら、
私も人の子。やはり寂しい。

しかしお母さん。

考えて見てください。
今日私が特攻隊で行かなければ
どうなると思いますか。

戦争はこの日本本土まで迫って、

この世の中で一番好きだった
母さんが死なれるから
私が行くのですよ。

母さん。

今日私が特攻隊で行かなければ、
年をとられたお父さんまで、
銃をとるようになりますよ。

だからね。お母さん。

今日私が戦死したからといって
どうか涙だけは耐えてくださいね。

でもやっぱりだめだろうな。
お母さんは優しい人だったから。

お母さん、
私はどんな敵だって怖くはありません。

私が一番怖いのは、母さんの涙です。

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回天特攻隊
敗戦濃厚の太平洋戦争末期、国、また愛する人々を守るために出撃して、その尊い命を散らせていった。
人間魚雷回天、前方部分につめられた爆薬は、それまでの魚雷の3倍に相当し、空母を沈められるとされた。操縦席には自爆装置がついていた。気を失って前傾姿勢になれば、爆発する仕組みになっていたのである。たとえ命中しなくても、二度と戻ってはこられない兵器だった。
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18歳といえば、高校生を卒業する年。
そんな若者が、
戻ってこられないとわかっている
兵器に乗って、
敵に向かっていかなければいけなかった。

そして、
そんな状況になっても、
お母さんのことを想う青年。
でも、きっと、一人になった時、
大きな恐怖に襲われて泣いていたことでしょう。

数十年前、
こんな若者たちが
たくさんいたことを忘れないで欲しい。

こんな過ちを二度と繰り返してはいけない。