結果を出す人の考え方はココが違う!

2年前、不慮の事件に見舞われ、
突如経営トップを失った王将フードサービス。

経営のバトンを急遽引き継いだのは
23歳で王将に入社して以来、
王将をゼロから東日本に広めてこられた
渡邊直人氏でした。

トップ交代後も経営を揺るがせることなく、
次々と改革を打ち出されている渡邊氏に
目標必達、業績を伸ばすための
極意を語っていただきました。

(対談のお相手は、アサヒビール社友の
福地茂雄氏です)

何が何でもそこへ持っていくぞという
信念を持って工夫を凝らせば、すべて
現実のものになっていくんだと思うんです。

右だろうと左だろうと、
そこに行きたいと考えて、
そこに行くようにポジティブに
ポジティブに考えて行動していったら、
結果に繋がっていくものなんですね。

──渡邊直人(王将フードサービス社長)

福地 渡邊さんが王将に
入社されたのはいつでしたか。

渡邊 昭和五十四年に大学を
卒業して入社しました。
関東の第一号店が新宿にできた翌年でした。

当時、大東は営業部長で、
「渡邊君、東京に人がおらんから
応援に行ってくれ」と言われて、
「いつ行くんですか?」と聞くと
「いまから行け」と言うんです(笑)。

布団は向こうで買ってやるし、
必要な荷物は後で送ってやるからと(笑)。

そうして、そのまま東京に
居着いてしまったわけです。

当時は本当によく働きましたね。
新しい従業員ばかりですので、
助けてくれる人は誰もいなくて、
何があっても自分で考えて
解決していかなければならない。

しかも当時は、やると決まったら
絶対にその目標の数字を達成しなければ
ならなかったので、何が何でもやってやろう
という気持ちが強かったですね。

京都、大阪をいまに追い越したる。
関西には絶対負けへんぞという意地から、
どんどんいろんな提案をしました。

ちょうどバブルの時代に差し掛かって、
東京の店はどこも満杯で、値段を上げても
絶対にお客様は来てくださる自信がありました。

そこで私は、関西よりも平均50円から
80円くらいの値上げを提案したんですが、
先輩の役員からことごとく反対されて
ボコボコにされる。

それで創業社長に

「先輩が何と言おうと、
これをやったら絶対利益が上がりますから」
と直談判する。

「できへんかったら弁償できるか?」
と言われて
「もちろんです。給料で足りなければ、
ローンを組んででも払います」と返す。

そこまで言うと社長も
「儲かったらその分お前にやるわ」
と言ってくださるんですが

「それはお断りします。
私にやるのが惜しくなるくらい儲かりますから」

と私が返すものですから、
「偉そうに抜かすな!」と(笑)。

福地 値上げしてもお客様は来るという確信は、
どこから生まれたのですか。

渡邊 店長も兼務してやっていた時代も
ありましたから、現場でお客様と直に接して
肌で感じたことがたくさんあったんです。

いまでこそお客様のデータを分析できる
システムがありますけれども、
当時はそういうものもなくて、
ほとんど直感力でやっていました。

あの時は結局私の提案を通してもらって、
140〜150%の増収増益になったんです。

それは私の判断が正しかったと言うよりも、
何が何でもそこへ持っていくぞという
信念を持って工夫を凝らせば、すべて
現実のものになっていくんだと思うんです。

右だろうと左だろうと、
そこに行きたいと考えて、
そこに行くようにポジティブに
ポジティブに考えて行動していったら、
結果に繋がっていくものなんですね。


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