日野原重明氏の医者としての原点

~感動エピソード~
「102歳・聖路加病院理事長
日野原重明氏の医者としての原点」

【16歳の少女の命】
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医師としての原点を語る時、
もう一つ外せないのが、
医局に入ったばかりの頃、
最初に担当した
結核性腹膜炎の16歳の少女です。

 彼女には父親がおらず、
母親が女工として働いていました。
家が貧しくて
彼女自身も中学に行かず
働いていたのですが、
ある時、結核を患って
入院してきたんです。

その病室は8人部屋で、
日曜になると皆の家族や友人が
差し入れを持って見舞いにくる。
でも彼女を訪ねてくる人は
ほとんどいない。
母親は日曜も工場で働いていたから、
見舞いにもなかなか
来られなかったんです。

私は日曜になると
教会の朝の礼拝に出席するため、
同僚に彼女のことを頼んでいました。
ところがある時、
その同僚から
「日野原先生は、
日曜日はいつも
病院に来られないから寂しい」と
彼女が言っていたと聞かされましてね。

以来私は朝教会に行く前に、
病室へ顔を出し、
それから礼拝に出るようにしたんです。
これはその後の私の
医師としての習慣にもなりました。

(都倉)
彼女も喜ばれたでしょうね。

(日野原)
ところが当時は
結核の治療法がなかったために、
どんどん容態が悪くなっていってね。
非常に心配していたんですが、
ある朝様子を見に行くと、

「先生、私は死ぬような気がします……」

と言うんです。

私は
「午後には
お母さんが来られる予定だから、
頑張りなさい」と言いました。

すると彼女はしばらく目を閉じて、
また目を開いて言葉を続けました。

「お母さんは
もう間に合わないと思いますから……、
私がどんなにお母さんに
感謝していたかを、
日野原先生の口から伝えてください」。

そうして手を合わせた彼女に、
私は
「バカなことを言うんじゃない。
死ぬなんて考えないで!
もうすぐお母さんが見えるから、
しっかりしなさい」
と言って、
その言葉を否定したんです。

・   ・   ・   ・   ・

ところが見る見るうちに
顔が真っ青になっていったので、
私は看護師を呼んで
「強心剤を打って延命しよう」と言い、
弱っている彼女に
強心剤をジャンジャン打った。

そして
「頑張れっ、頑張れっ!」と
大声で叫び続けた。

彼女はまもなく茶褐色(かっしょく)の
胆汁を吐いて、
2つ3つ大きく息をしてから
無呼吸になりました。

私は大急ぎで彼女の痩せた胸の上に
聴診器を当てましたが、
もう2度とその心音を
捉えることはできませんでした。

私は彼女の死体を前にして、
どうしてあの時
「安心して成仏しなさい。
お母さんには、
私があなたの気持ちを
ちゃんと伝えてあげるから」と
言ってあげられなかったのだろう。

強心剤を注射する代わりに、
どうしてもっと
彼女の手を握っていて
あげなかったのか、
と悔やまれてなりませんでした。

私は静かに死んでいこうとする彼女に、
最後の最後まで
鞭を打ってしまったわけです。

(都倉)
……。

(日野原)
この時に、医師というのは
ただ患者さんの命を助けるのじゃない。
死にゆく人たちの心を支え、
死を受け入れるための
援助をしなければならないのだ
と思いました。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

「我が命、燃焼す」
日野原重明
(聖路加国際病院理事長・名誉院長)
都倉 亮(スウェーデン社会研究所理事)

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