幸せの意味を考えさせられる感動実話

すべてが思いどおりに計らわれることを望みながらも、
様々な厳しい状況が襲ってくるのが人生です。

ここで大事なのは、人生の苦難は
それを受け入れてこそ離れることができるし、
苦難を受け入れた時、通常では見つめられない深い幸せが
存在していることに気づけるということです。

随分前ですが、私の講演会でのことです。

一人の女性が私の話を聞きながら、
ハンカチを使おうともせずに
涙を流し続けている様子が目に留まりました。

「きっと思い当たることでもあるのだろう」
とは思っていましたが、講演が終わり、
受講者からの質問の場面になった時、
彼女が手を挙げてこう話し始めたのです。

「私の体の中は洞窟と一緒なのです。
これまで8回手術をして、こんな空っぽの体で、
どうして生きているのかお医者様も
不思議でたまらないと言われています。

それなのになぜ、私がこうして元気で
生きられるかと申しますと、
実は私には知的障碍の20歳の息子がいるからなんです」

彼女はその子が生まれて間もなくご主人と離婚。
彼女を必要としている息子さんのために、
今日まで手術を重ねながら死に物狂いで働いてきたのでした。

勤めを終えて家に帰った彼女を、
息子さんはまるで子供のように手足をバタバタさせて
喜んで出迎えてくれたといいます。

喜びを満面にした顔を見る度に
日々の苦労が吹っ飛ぶというのです。

「この子を残しては死ねない」

その思いこそが彼女を突き動かし、
生かす原動力でした。

私は講演の中で、幸・不幸というものは
客観的に計り知ることはできない。

苦しみの極みを積極的に受け止めて生きていく時、
苦しみは生きる深い喜びをもたらしてくれる、
と話しました。

彼女はその話を聞いて、知的障碍の息子を持つ、
ボロボロの体の自分でも、我が子の顔を見て
幸せを感じ取ることができることに気づき、
これまで味わったことのない深い感動が込み上げてきたそうです。

息子さんは生まれた時、
3年生きればいいと宣告されました。

20歳の誕生日に赤飯を炊いて、
ささやかながらお祝いをした時、
息子さんは彼女の顔を見ながら
「おかあさん、ありがとう」と伝えました。

その言葉は単なるお礼ではなく、彼女にはまるで、
自分を成人になる今日まで育ててくれたことへの
深い感謝の思いのように感じられてならなかったといいます。

講演からしばらくして、私のもとに
彼女から一通の手紙が届きました。

息子さんが亡くなったことを知らせる文面でした。
ところが、そこには悲壮感のようなものは全くありませんでした。

「私は幸せなことに、こうしてまだ生かされております。
あの子の笑顔が、しあわせに生きてゆくようにと呼びかけているのです」

苦しさを受け入れた時、初めて出てくる輝きと
幸福感がそこにはありました。

 

鈴木秀子(国際コミュニオン学会名誉会長)

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