「書家・相田みつをの『感動する心』」

仏の心を別の言葉で“柔らかい心”といいます。

 

さしずめ現代の人々の心は、

損得、勝った負けたでいっぱいの、

“硬い心”でしょう。

 

そして心が柔らかくなければ、

感動もありません。

 

 

感動するというのは、

昨日気づかなかったものに、今日、

新たな発見をして感動するのです。

 

昨日も見た同じ萩の花なのに、

今日、新たな発見をして感動する。

 

そのためには、心に余計なものが入っていない

“柔らかい心”でないと駄目なのです。

 

 

私は毎日、何かに感動し、感激して

生きていきたいと思います。

 

それが人間が生きることだと思うからです。

そして同時に、人に感動を与える書、

人の心に響くものを書いていきたいと思っています。

 

 

 

うまさに徹すれば、それはそれで

人を感動させることもできるでしょう。

しかし、それは所詮(しょせん)

私にはできないこと。

 

また、ただうまければいいという

ものでもないと思います。

 

 

たとえば結婚式の祝辞で、

偉い人の代読を聞いたことがあるでしょう。

巻き紙に書かれた立派な内容のことを、

とても上手に読みます。

しかし、感動はまったくありません。

 

ところが、新郎新婦の友人などのたどたどしく、

決してうまいとはいえない話に、

大きな感動を受けることがありあます。

 

 

それは何が違うか、一言でいえば

真心がこもっているかどうかだと思います。

 

友達のために何かいってあげたいという感動が、

それを聞く人の心にも伝わるのです。

 

 

書も同じです。

 

 

自分自身に感動がないのに、

人に感動を与えることなどできないでしょう。

 

いい書とは、練習ではなく、

毎日の生き方の総決算としてできるのだと思います。

 

自分の目がいつも光って、

心が生き生きしていないと、

いいものはできない。

 

感動のない者はなにをやっても駄目だと思います。

 

 

「書家・相田みつをの『感動する心』」

        相田みつを氏(書家)

 

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